イタリア車は 単なる乗り物ではなく 何か魅力のある車である。
たとえば FIAT500は イタリアで ヨーロッパで50年以上 愛され 未だに古いタイプの500であっても 大切に乗り続けているファン=オーナーたちがたくさんいる。500にしても PandaもPuntoも そのオーナーさんたちは まるでわが子と同じような感覚で接していることに 業界3年未のわたしにさえ感じられる。
工場の中に休憩室へ上がる階段があり 工場に500の姿を見ながら登っていて どの角度から見てもかわいい。展示場にずらりと並ぶ500も 何ともいえぬかわいい表情でちょこんと存在している。1台1台 何か存在感があって すれ違う500につい目が行く。500を知らない人が「マーチだねか」というが おそらくマーチがまねしてつくったのではないかとむかついてしまうし 実際 日本人も 中国のまねを批判しているが まねをして成り立ってきたのは 日本も同様ではないか。ただ日本は 似たものをつくるが創意工夫の精神でよりよいもの、便利なものをつくろうとしてきたのと ヤマト魂できちんとしている、正確さ、巧妙、精巧さを兼ね備えているから 現在の技術も育ってきたといえるのではないか。
とはいえ 彫刻の国イタリア車の伝統とセンスには まねのしようがない。日本車が外国の車を真似てつくっただろう車が多く見受けられるが、似てはいても どこか醸し出す雰囲気が何だか違う。
安売りのカバンとブランドのカバン。どちらでもかまわない人もいれば 本物にこだわる人もいる。持ち物は その人を表すという視点から考えると 本物が好きだなぁ。数はいらないけど 要な時 やっぱり いいもの、つまり自己満足というのかもしれないが自分の心を満たしてくれる持ち物を所有していたい。
ALFA ROMEO車は とことん かっこいい。操縦席にすわると わくわくした気持ちが湧いてくる。エンジン音を聞くと車の元気さが伝わってくるようだ。自分の気持ちも元気になる。そんな感覚は アルフェストたちが知っていることだろう。昔はアルファロメオを所有することが一つの男のステイタスであった。車と家のテレビ番組にも登場する。部品をひとつ取り寄せるのにも日数と費用がかかっていた。手のかかる子程かわいいとでも思えるくらい 心を掻き立てる車であって 憧れとロマンのある名車。
現在は 日本人が最も嫌う壊れるという不都合さが 改善された。その代わり アルファロメオらしいエンジンが姿を消そうとしている。![]()
GTもエンジンが提携切れで もう製造されない。ラインナップの中でどの車が最もアルファらしいのかを質問した時に GTだと言われた。運転席に座ってのパネルまわりやハンドルまわりは147と同じようにみえたが 乗ってみて とても楽しかった。カーブの連続する山道では 微妙なアクセルの踏みこみ具合とハンドルさばきで操縦する。エンジン音がハンドルから耳から伝わってきて 私は車と会話してるような感覚の中にいた。


